数日後、貴族たちと一般庶民にまで帝からの御触れが出された。

『○○日、下賀茂神社にて、流鏑馬神事に則った競技を執り行う。
身分を問わず、参加自由。
見事勝利した者には、龍神の神子の婿の座が約束される。』

そんな内容の御触れだった。

貴族はもちろん庶民の間でも、身分を問わないんだったら我も我もと声が上がっている。

右大臣は、その御触れを知って驚く。
あくまで神子の婿の座を競うのは、貴族内でのことと思っていた。
それが庶民まで参加を認められるとは思わなかった。

(しかしまあ、我が息子にかなうものはおるまい。結果は同じだ。下々のものは流鏑馬などできぬだろうし、ざっと見回しても少納言ほどの腕を持つものはおらぬからな。)

貴族の中では、自分の息子少納言が一番の腕だということはわかっている。
あと馬と弓を扱うものといえば、それぞれ貴族に雇われている武士か。
しかし、武士が主である貴族を差し置いて出てくるわけがない。

これで神子の婿の座は我が息子のものだ、と右大臣は確信した。





もちろん、その御触れは頼久の耳にも入ってきた。
あかねは数日前、帝に呼ばれて内裏に行ったまま帰ってきていない。
会いたい、早く帰ってきて欲しいと思っていた時、そんなお触れを知って、頼久は呆然とした。

(神子殿が? 流鏑馬の勝利者と結婚?)

わけもわからず、頭の中が真っ白になる。
神子殿は自分と共にいるためにこの京に残ると約束してくださったはずだ。
それなのに。
あのあかねを見送った時感じた漠然とした不安はこのことだったのか。

「頼久。」
「・・・棟梁。」

頼久に父親が声をかけてきた。
頼久よりも貴族に近しい棟梁は、まだ事情に詳しいらしい。

「おまえ、前に神子殿を妻に迎えたい、と申しておったな。」
「はい。」
「左大臣様に話をお聞きしてきた。神子殿は、貴族の間で妻に、と望まれる声が多いらしい。」
「・・・えっ?」

棟梁の言葉に、頼久が青ざめる。

「いいか、頼久。」

棟梁は噛んで含めるように言う。
貴族の間で流れているあかねの噂と評判。
有力貴族の間でも妻にと望まれる神子を、武士風情が妻に迎えるなど、難しい状況であることなど。

「・・・そう、なのですか・・・。」

頼久はうなだれた。
まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
ただ、愛し愛された人を妻に迎えたい、というだけなのに、それが許されないとは。

確かにあかねとは将来を誓い合ったのに。
やはり龍神の神子と結婚など、武士である自分には無理な話だったのか。
頼久は唇を噛む。

そんな息子を見て、棟梁が口を開いた。

「この度の御触れは、おまえのためだ、と左大臣様はおっしゃったぞ。この土御門からはおまえを出すと。」
「・・・は?」

頼久は驚いた。
左大臣にも神子につりあう子息はいる。
それなのに、たかが武士でしかない自分を出してくれるというのか。

「何のために身分を問わないとあると思うのだ。武士でも参加できるということだ。おまえが見事勝利すれば、誰もが納得しよう。たとえ武士であろうと、神子の婿はおまえだとな。」
「あ・・・。」
「神子殿も承知なさったらしい。」
「神子殿が?」





話は数日前。
内裏に行ったあかねは、すぐに帝に呼ばれた。
見ると、左大臣もそこにいる。

「えっ!!」

左大臣に事情を説明され、非常に驚いた。

「じゃあ、私はその勝者が誰であれ、結婚しないといけないのですか?」
「そうなるな。」
「そんな・・・。」
「そうでないと、右大臣をはじめ皆が納得しないのだよ。」

あかねは顔面蒼白である。
そんなはずではなかった。
自分は頼久といたいがためにここに残ったはずだったのに。
そんな誰とも知れない男と結婚しなければならないなんて。

「神子殿。」

左大臣に呼ばれるが、うなだれたまま返事もできない。

「土御門からは、頼久を出そうと思っている。」
「えっ?」

あかねは顔を上げた。

「源氏の棟梁から、頼久と神子殿のことは聞いている。」
「左大臣様。」
「それで、主上には貴族だけでなく誰でも参加できるようにして欲しいとお願いしたのだよ。」

左大臣は優しい目であかねを見ている。
帝もそうだ、と頷いた。

「じゃあ・・・。」
「神子殿。頼久を信じなさい。」

左大臣は、あかねの肩に手を置く。
その暖かい手は、あかねに遠く離れている父親の手を思い出させた。

「頼久ならきっとやってくれるよ。あれは土御門でも一番の力を持っている。右大臣の息子になど負けんさ。」
「左大臣様・・・。」
「皆に認めさせるいい機会だと私は思うよ。」

帝もあかねに言った。

「どうかな、神子殿。承知してくれるかな?」
「・・・もし承知しなかったらどうなるんですか?」

左大臣が難しい顔をしながら説明した。

「そうだね・・・。貴族たちの争いを生むかもしれないね。もし無理に頼久と結婚したとしたら、源氏一族も貴族からの反感を買うだろう。」
「えっ!」
「それだけ神子殿は特別な女性だということだよ。」

あかねは口元を引き結び、じっと考えた後、帝に言った。

「・・・頼久さんが勝てば、誰も文句は言わないんですね?」
「ああ、約束しよう。」
「わかりました。」
「承知していただけるか?」
「はい。」

あかねはしっかりと頷いた。

「頼久さんを信じます。きっと一番になって、私を助けてくれるって。」
「そうだ。神子殿の頼久を信じる気持ちが、頼久の力になろう。」

左大臣は優しく微笑んだ。

あかねは覚悟を決めた。
今自分にできるのは頼久を信じることだけ。
頼久なら、きっと勝ってくれる。
きっと。

頼久に会えないのは淋しいが、あかねは帝と左大臣に言われる通り、そのまま内裏へと残ることになった。





棟梁は、頼久に言う。

「頼久。神子殿はおまえを信じて、この御触れに従いなさったと聞いた。」

頼久は、あかねの真っ直ぐな眼を思い出した。
自分を見つめる瞳。
今のあかねの胸の中にあるのは、きっと自分への限りない信頼。

「・・・案外、肝の据わった女子(おなご)のようだな。」

棟梁は感心したように言った。

「だとすれば、おまえが今なすべきことは何だ?」
「流鏑馬に参加して、見事勝利することです。」
「そうだ。誰にも文句を言わせないためにも、がんばって来い。おまえを出してくださる左大臣様のためにもな。」
「・・はい!」

頼久は、左大臣の懐の深さに感謝した。





そんな経緯で、頼久はその流鏑馬神事に愛馬と共に参加していた。
帝とあかねがいる社殿からよく見える位置に、馬場が設けられている。

太鼓が鳴り響き、流鏑馬が始まった。
たくさんの参加者たちは、次々に三つの的を狙って馬と共に馬場を駆け抜ける。
もちろん付け焼刃で射抜けるようなものではない。

馬から振り落とされる者。
矢を持つまではいいが、射ることもできず終わってしまう者。
矢を射たはいいが、全く的に当たらない者。

参加者は次々と脱落していった。

そんな中、わ〜っ、と歓声が上がる。
三つの的が次々と綺麗に割れたのだ。

「あれは誰だい?」

見物者もざわざわと噂する。

「右大臣様のご子息だそうだよ。」
「ほう、あの方が。」

どうやら都でも評判の公達らしい。
皆が口々に誉めそやす。
三つの的に当てたのは他にもいたが、これほど力強く綺麗に的を射た人物は初めてだったからだ。

「こりゃあ、どうやらこのお方で決まりだね。」

そういう声も聞こえてきた。

(神子殿・・・。)

頼久は、見事に的を射た貴族への賛辞の声を聞きながら、自分の順番を待つ。
じっとあかねのいる社殿の方を見ると不思議と心が落ち着いた。

(私を信じてくださっているのですね・・・。)

姿も見えないし声も聞こえるわけがないが、頼久は確かにあかねが自分を守ってくれているような温かさを感じていた。





頼久の番がやってきた。

「・・・頼むぞ。」

愛馬の首をぽんぽんと叩き、ぐっと手綱を握る。

「はぁっ!」

乗り手の掛け声も勇ましく、馬が蹄の音を響かせる。
まるで馬上とは思えないほどの滑らかな動きで矢をつがえ、ヒュッと射る。
三つの的は次々と真っ二つに割れていった。

観客の間から、歓声とため息が漏れる。

(やっぱり、頼久さんが一番かっこいいなあ・・・。)

自分の置かれた状況も忘れ、あかねはポーッと頼久に見とれた。
あかねは社殿の御簾の内から、ずっと頼久だけを見つめていたのだ。
くすくすと笑う声で、あかねははっと我に返る。
隣に座っている帝があかねを見て笑っていた。

「こうして見てみると、君の想い人はやっぱり抜きん出ているね。さすが源氏の若棟梁だな。」
「主上。」

周りに聞こえないように耳元で冷やかされ、あかねは頬を赤く染めた。

「しかし、三つの的を射抜いたものは、他にも数人いるようだ。さて、どうなるか。」

前もって決められたルールでは、一度でも的を射抜けなければその時点で脱落。
最後の一人になるまで、流鏑馬は何度でも繰り返し行われることになっていた。

まさに技量と集中力を問われることになる。

(頼久さん、がんばって・・・!)

あかねは心の中で必死に祈った。





何度か馬を馳せた後、候補者はとうとう二人に絞られた。
皆が予想した通り、右大臣の息子である少納言と、源氏の若棟梁頼久の二人である。

この少納言、若いうちから様々な才能を発揮し、右大臣の自慢の息子であった。
勝ち残ったのも頷けるほど文武両道に優れ、もちろん見た目も麗しい顔をしていた。
女性たちの間では、光源氏の再来とまで言われている人物だ。
それだけではなく色好みの面まで光源氏と非常に似通っている。
正妻も持っているし、恋人も多い。
この京ではそれが当たり前なので、今日彼が参加していることを誰も不思議には思わなかった。
あかねを除いては、だが。

あかねは傍に控えていた女房に、少納言がどんな人物か聞いた。
女房はうっとりとした表情で少納言のことを語る。

和歌や漢詩の才もあり、楽も、特に竜笛を奏でさせたら万人を魅了すること。
血筋も申し分なく、どんなに将来有望な公達であるか。
誰もがその恋人になりたがっていること。

そんな男が、自分の婿になりたいと流鏑馬に参加している。
京の女性なら、嬉しさに胸を震わせることらしいのだが。

あかねは全く少納言に興味がわかなかった。
それどころか、嫌悪感がこみ上げてくる。

(そんなにたくさん恋人がいるなんてどうかしてる。愛人の一人だなんて、絶対にやだ!! 頼久さん、負けないで!)

頼久のことは信じているが、何が起こるかわからない。
あかねは泣きそうな顔で、頼久を見つめた。

(あ・・・。頼久さん、こっちを見てる・・・。)

あかねの心の声が届いたのか、頼久もじっと社殿の方を見つめていた。
もちろん御簾の内が見えるわけもない。
だが確かに二人の視線は絡み合っていた。





しばしの休憩の後、二人の一騎打ちが始められることになった。
始まりを知らせる太鼓の音が鳴り響いた時、頼久の部下である男が、血相を変えて頼久のところにやってきた。

「若棟梁、たいへんです。」
「どうした。」
「若棟梁の馬が・・・。」

急いで愛馬の元に駆けつけると、しきりに首を振って、イライラと前足で地面を掻いている。
何かおかしいと思ってみてみると、前足に怪我を負っていた。

「どうして怪我など・・・。」
「わかりません。何かに驚いたように急に暴れ出して、その時に木にぶつけてしまったようです。」

虫か何かに驚いたのだろうか、怪我はそう深刻なものではないにしろ、今走らせるのは無理なようだ。
代わりの馬など、用意していない。
他の馬は、邪魔にならないように早々に帰すように言われたのだ。

頼久は唇を噛んだ。
この大事な時に―――――。

「おやおや、左大臣殿のところの武士殿はお困りのようですな。」

揶揄するような響きで話しかけてきた男がいる。
右大臣であった。

「どうでしょう、主上。こちらの馬は怪我して走れないようですので、よろしかったら私が連れてきた馬をお貸ししたいと存じますが。」
「ほう、それは殊勝なことだ。しかしわざわざ敵方に手を貸すようなまねとは、まさか駄馬ではあるまいな?」
「とんでもない。主上の御前でそのようなことはいたしません。先日手に入れました名馬の血を引く最高の馬にございます。」
「連れてきてみよ。」
「はい。」

帝に見えないところで右大臣がニヤリと笑い、部下に指示してその馬を引き出させた。
二人に手綱を引かれて現れたその馬は、黒毛の艶も見事な馬であった。
身体も大きく、一目見てその素晴らしさがわかる馬だ。

「なるほど、すばらしい馬のようだ。この馬を敵方に貸すと?」
「さようにございます。」
「そのような名馬ならば、なぜ少納言に乗らせない?」
「少納言には幼い頃より共に過ごした愛馬がおりまして、やはりそちらの方が良いと申しましたもので。この馬は何かあった時のために連れてきていたものでございます。」
「源氏の。そなたはどう思う? 右大臣はこう申しておるが。」

頼久は何か裏があることを感じながらも、他の馬を連れてくる時間もない。
それにこれは右大臣の自分に対する挑戦だ。
受けなければ男がすたる。

「右大臣様のご厚意、お受けしたいと存じます。」
「そうか、わかった。ではその馬を。」

頼久がその手綱を受け取ろうとした時、いきなりその馬が暴れ出した。

「うわぁっ!」

それまで手綱を持っていた二人の男が放り出される。
尻っぱねを繰り返し、かろうじて他の男が手綱を押えたもののその興奮状態は尋常ではない。

「おやおや、武士殿が乗りこなすには難しい馬でしたかな。いい馬ほど乗り手を選ぶと言いますからな。」

あくまでいい馬だということを強調しながら、右大臣は嫌味を言う。
あかねは御簾の内で怒るが、帝は何も言わない。
帝は中立の立場を取らなくてはならない。
どちらかに肩入れするわけにはいかないのだ。

黒毛の馬は鼻息も荒く、なんとか手綱を振りほどこうと暴れている。
実はこの馬、右大臣が手に入れた名馬であることは間違いないが、その気性の荒さからほとほと困り果てている馬であった。
プライドも高いらしく、全く言うことを聞かない。

(こんな時に役立ってくれるとは思いもしなかったわ。)

帝の前でこっちの厚意を受けると言った以上、やはり乗れません、では済まされない。
これで自分の息子の勝利は約束されたも同然と、右大臣は内心ほくそ笑んだ。






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