その夜、友雅があかねの元を訪れた時、あかねは上機嫌で友雅を迎え入れた。
友雅には自分の笑顔を憶えていて欲しい。
自分も友雅の笑顔や優しい声を憶えておきたい。

このひと月、あかねは本当に幸せだった。
その日々を宝物として、帰ろう。

「ね、友雅さん。今忙しいの?」
「うん? 物忌みも開けたし、準備もほとんど終わったからそんなに忙しくはないけれど。」

準備、と聞いて、あかねの胸がチクリ、と痛んだ。
なんの準備かは聞かなくてもわかる。
あかねは甘えた風に、友雅に言った。

「じゃ、毎日来てくれる? 最近来てくれなくて、寂しかったんだ。」

あかねにそうねだられて、友雅は相好を崩す。
あかねはめったに我儘など言わない。
そのあかねが珍しく甘えてきたのだ。
かわいくないわけがない。

「わかったよ。寂しい思いをさせて悪かったね。」

友雅とあかねは、とびきり甘い夜を過ごすことになった。








翌朝。
友雅はあかねの部屋を出ながら、なにやら難しい顔をしている。
あかね付きの女房に何か一言二言聞くと、ますます表情を険しくし、朝早い時間ではあったが、そのまま詩紋の部屋を訪ねた。

「あれ、友雅さん。こんな時間に何か用ですか?」

屈託のない笑顔で、詩紋は友雅を迎え入れる。
友雅は詩紋の表情を注意深く見た。

この金髪の少年は、なかなか侮れないのだ。
年若い割には、気持ちを隠す術を身に付けている。

しかし、天真に聞くより、やはりこの少年の方がいいだろう。
冷静に話す必要があるからだ。

「あかねはいったいどうしたのかな。」

ズバリ、と切り出す。

「どうしたってどういうことですか?」

詩紋の表情は変わらない。
そのことがかえって友雅の警報に引っかかるのだ。

「あかねがおかしいのだよ。」
「おかしいって?」
「あんなに甘えてくることなんてこれまでなかったのに、夕べはこれまでにないほど甘えてきてね。」
「やだなあ、惚気ですか? 友雅さん。」

詩紋は、あはは、と笑う。
しかし友雅の表情は硬いままだ。

「何を隠している? 詩紋は知っているのだろう? 昨日天真があかねと深刻そうに話していたそうじゃないか。」

友雅は詩紋をひた、と見据えた。

「私があかねの変化に気がつかないとでも思うのかい? あかねの様子がおかしいことくらい、すぐにわかるよ。」
「それは、友雅さんが他に奥さんをもらうからじゃないですか?」

詩紋からも笑顔が消えた。

「そうじゃない。そのことは確かにあかねにとって面白いことではないだろうが。」

あくまで冷静に、友雅は詩紋を問い詰める。

「他にも、何か隠していることがあるね。」
「一つ聞かせてください。」
「なんだい。」

とりあえず話をしてくれそうだ。
友雅は詩紋の言葉を待つ。

「友雅さんはあかねちゃんのこと、どう思ってるんですか?」
「どうって、もちろん、誰よりも愛しているよ。」
「それなのに、他の女性と結婚するって、どういうことなんですか?」
「どういうこととは?」
「ああ、ここでは当たり前のことでしたね。」

詩紋は信じられない、とでもいう風に、頭を振った。

「僕たちの世界では、男も女も結婚するのはただ一人なんですよ。」
「・・・本当かい?」

友雅は驚いた。
この京では、割と性はおおらかだ。
そのため、一夫多妻制の制度も当然なのだ。
その中で生まれ育った自分も、それが当たり前だと思っていた。
それがおかしいだなんて思ったことすらない。
あかねの世界でもそうだろう、と思っていたのだ。

「友雅さんは、あかねちゃんが他の男性と関係を持っても平気でいられますか?」
「まさか!」

あかねが他の八葉と出かけている、と聞いただけで、友雅は嫉妬でおかしくなりそうになったものだ。
自分の独占欲が強いことは、重々自覚している。

「それって、あかねちゃんもそうだと、なぜ思わないんですか?」
「・・・あかねも?」
「あかねちゃんが嫉妬しないとでも思ってるんですか?」

思ってもみなかったことを言われて、友雅は頭を殴られたような気がした。

「あかねちゃんは、ここで育ったわけじゃない。友雅さんが他に奥さんをもらうなんて、耐えられるわけがないんだ。」

詩紋は苦しそうに言う。

「僕たちはもう少ししたら帰ります。あかねちゃんも連れて。」
「なんだって?」
「あかねちゃんも帰りたいって言ってましたよ。あかねちゃんがどんな気持ちでそう言ったのか、友雅さんにわかりますか?」
「!」
「友雅さんは、帝の妹さんと結婚するんでしょう? 身分から言っても、その人の方が正妻になるって聞きました。そんな状況であかねちゃんが幸せになれるはずがないよ、友雅さん。」
「私が愛しているのはあかねだけだ。」
「まさかそんな言い訳が本当に通用するなんて思ってるんじゃないでしょうね。」

詩紋は辛辣だ。

「たとえ友雅さんが人の二倍愛情を持っていて、あかねちゃんにこれまでと変わらない愛情を注いだとしても、あかねちゃんにとってそれは友雅さんの半分の愛情しか貰えないことに違いはないんです。反対の立場だったら、友雅さんは耐えられるんですか?」

友雅はぐうの音も出なかった。

「あかねちゃんが帰るって言ってるのは、友雅さんが好きだからです。」
「・・・なぜ・・・。」
「あかねちゃんは、自分が友雅さんの出世のためにはいない方がいいって言ってました。帝の妹を娶るならば、将来は約束されたようなものだって。だから他の女性と結婚しないでなんて言えなかったって。」

詩紋の顔が歪む。

「あかねちゃんは友雅さんが他の女性の所に行くのを冷静に受け止めることなんかできない。かといって結婚しないで、なんて言えない。だから帰るんだって。」

詩紋は、友雅をじっと見た。

「友雅さん。あかねちゃんが大切なら、よく考えてみて。友雅さんが、あかねちゃんを独占したいなら、あかねちゃんだって友雅さんを独占したいんだ。僕たちの世界では、男と女は平等なんですよ。」
「詩紋。」

友雅は唇を噛み締めた。

「・・・君達はいつ帰るんだい?」
「六日後です。あかねちゃんを引き留めたって無駄ですよ。この京には、もうあかねちゃんの幸せはないんですから。友雅さんにだってわかるでしょう? 引き留めたって、あかねちゃんが不幸になるだけだ。」

友雅は立ち上がると部屋を出ていこうとしたが、御簾のところで詩紋を振り返った。

「ありがとう、詩紋。よく考えてみるよ。」

詩紋は、天真から口止めされていたことをしゃべってしまったが、きっとこれがあかねのためになる、と信じていた。





仕事を終えて、友雅はあかねのところにやってきた。

「友雅さん!」

部屋に入るなり、あかねは友雅に飛びついてくる。
恥ずかしがり屋のあかねが、こんな風にすることは今までなかった。
あかねを膝の上に抱きかかえ、友雅はあかねの髪をなでる。
あかねはあれこれと他愛も無い話を嬉しそうにしている。
愛しさに目がくらみそうになった。

「あかねは私のことが好きかい?」

あかねはちょっと目を見開いたかと思うと、にっこりと笑って、

「うん、大好き!」

と答える。

「誰よりも・・・?」
「当たり前じゃないですか。私、友雅さんだけが好きです。友雅さんに会えて良かった。」

友雅はあかねをギュッと抱きしめる。
あかねも友雅の背に手を回し、キュッと抱きついてきた。

「私、友雅さんと結婚してからの1ヶ月、本当に幸せでした・・・。」

過去形の言い方になっていることに、あかねは気がついていない。
無意識にそんなことを言うということは、あかねは本当に帰る気でいるのだろうか。

友雅は胸が痛い。
引き留めたいのは山々だ。
しかし、詩紋の言うことももっともだと思う。
このまま京に残っても、あかねの幸せはないのだろう。

五の宮との話は、進んでしまっている。
今さら断ることなどできない。

自分はあかねを手放すことができるのか?
やっと見つけたたった一つの情熱。

自分にとって、何が一番大切なのか。
友雅はあかねを抱きながら、自問自答していた。





次の日の朝。

「詩紋。ちょっといいかな。」
「友雅さん。」

詩紋は眉をひそめる。

「ああ、そんな顔をしないでくれないか。」
「どうするか決めたんですか?」
「ああ。」
「それで・・・?」
「実はね・・・。」

友雅と詩紋は、その日長いこと話していた。





友雅と濃厚な一週間を過ごしたあかねは、友雅が出仕している時を狙って、神泉苑へ来ていた。
天真、詩紋、蘭もいる。
この日帰ることは、藤姫や他の八葉には内緒にしていた。
泰明にのみ事情を話し、ここに来てもらっている。
藤姫には、あとで手紙が届くように手配した。

「あかね、いいな。」
「うん・・・、天真くん。」
「じゃあ、泰明、頼む。」
「もうちょっと待て。」
「?」

時が満ちるのを待っているのだろうか。
泰明は待ったをかけた。

天真はじりじりとする。
もしあかねがいないことがばれたら、友雅があかねを取り戻しに来るに違いない。
その前に、なんとしても天真は帰りたかった。

「まあ、先輩。落ち着いてよ。」

天真の気持ちを知っているはずの詩紋までのんびりと言う。

「早くしねえと・・・!」
「待たせたね。」
「!」
「友雅さん!」
「すまないね。ちょっと準備に手間取ってしまって。」

突然そこに、友雅が現れた。
間に合わなかった。
天真は唇を噛み締める。
あかねはやっぱり引き留められてしまうのか。

「友雅さん・・・、その格好は・・・?」

あかねが目を丸くする。
よく見ると、友雅はいつもの直衣姿ではなく、現代でも通用するような和服のようなものを着ている。
それに、さっき友雅が言っていた準備とは・・・?

「ああ、これならあちらに行ってもそれほど奇異な目で見られないだろう、と聞いたのでね。」
「えっ?」
「私も行くよ。あかねと一緒に。」
「・・・どう・・・して・・・。」

あかねは驚いた。
そんなあかねに友雅は優しく言う。

「悲しい思いをさせて悪かったね。詩紋に言われて自分が大きな間違いをしていることに気がついたよ。君にとって私がただ一人と言ってくれるのなら、私にとっても君はかけがえのないただ一人の女性だ。」
「・・・友雅さん・・・。」

あかねは目を潤ませている。

「京にいると、主上の命には逆らえない。もう五の宮様との話も断れないところまで来ている。でも私はあかねが一番大切だ。君を失うくらいなら、他のものを全部捨てるさ。」
「せっかく出世できるのに・・・?」
「そんなもの、最初から興味はないさ。あかねがいないこの世界は、私にとって何の意味もないよ。」
「・・・友雅さんは・・・、それでいいの・・・?」
「ああ。あちらでの生活は、詩紋が助けになってくれるって言ってくれたよ。泰明殿にも相談した。私がついていくことに、問題はないそうだ。」

詩紋の家はお金持ちだ。
その詩紋が助けてくれるというのなら、大丈夫だろう。
泰明も、友雅が来ることを知っていたらしい。
それで二人とも、友雅が来るまで待っていたのだろう。

「おい、友雅!」
「なんだい、天真?」

天真は友雅を睨みつけている。
友雅が他の女と結婚しようとしていた事実をまだ天真は許せない。

「あっちでは他に女を作ることはできねえんだぞ!」
「わかっているよ。私はあかねだけがいてくれればそれでいい。」
「あかねだけを大事にするって誓えるのかよ!」
「当たり前だ。あかねの世界では一人の女性としか結婚できないと聞いて、私はむしろ嬉しいね。」
「そんな都合のいい言葉、信じられるか!」
「天真先輩!」

詩紋が友雅と天真の間に割って入った。

「僕、友雅さんからいろいろ話を聞いたよ。友雅さんは本気だと思う。信じていいと思うよ。」
「詩紋。詩紋には感謝しているよ。詩紋のおかげで、私はあかねを失わずに済んだのだから。」

あかねがそうなの?という顔で詩紋を見た。
詩紋はあかねに向かってにっこり笑う。

「うん。友雅さんはあっちでのこと真剣に考えているよ。僕も協力する。一緒にがんばろう?」
「ありがとう・・・、詩紋くん・・・。」

あかねは涙を浮かべながら、詩紋に感謝する。
天真は舌打ちしたが、そんなあかねの顔を見たらそれ以上何も言えなかった。





友雅は微笑を浮かべ、あかね手を差し伸べた。

「あかね。私と一緒に駆け落ちしてくれるかい?」

あかねは思ってもみなかった友雅の言葉に驚く。

「駆け落ち・・・?」
「ああ。主上と五の宮には申し訳ないがね。私は君と共に生きる事を選ぶよ。私と一緒にここから逃げてくれるかい?」

あかねの目に、まだ涙があふれてくる。
あかねはポロポロと涙をこぼしながら、コクコクと頷いた。
友雅があかねと共に行くのは、あくまでも自分の意思だと。
黙って逃げ帰ろうとしていたあかねを責めるでもなく、駆け落ちしようと言ってくれているのは友雅の思いやりに違いないだろう。
その心があかねは嬉しくてたまらなかった。

「それでは行こうか。」

友雅の合図をきっかけに、泰明が呪文を唱え、あかねが祈りを捧げる。
だんだんと時空の扉が開き、向こうの世界が見えた。

天真と詩紋は、蘭を守るようにその扉を潜った。
あかねと友雅は手に手を取り、その扉の向こうへ消えていった。
その顔は二人とも喜びに満ち溢れていた。



「行ったか。」

ポツリと泰明が呟く。
神泉苑には、泰明と静かな水面だけが残された。





内裏では、大騒ぎになっていた。
突然消えた龍神の神子とその仲間。
そして、左近衛府少将、橘友雅。

帝の元には友雅が書き残した文が届いた。
友雅に対して少なからず怒りを覚えていた帝だったが、その文には友雅のあかねに対する気持ちと、五の宮に対する詫びが切々と書かれており、帝はそれを読んで、諦めるしかないと悟った。
元はと言えば、自分が友雅に無理強いしたのが原因なのだ。

それに今さら何を言っても、もう二人は手の届かないところに旅立ってしまった。
五の宮にはかわいそうだが、仕方がない。
帝は、今は二人の幸せを祈るしかない、と思った。





一方藤姫にも、あかねの文と友雅が書き残していた文が届いた。
あかねの文には、友雅と別れて黙って帰るつもりだと書いてあり、藤姫は首を傾げたが、友雅の文を読んで納得した。
自分は何もかも捨ててあかねを追いかけると。
藤姫には迷惑をかけることになってすまないと。
いつも本心を隠して飄々と過ごしていた友雅の、真摯な文だった。

「友雅殿が、そこまでなさるなんて・・・。」

二人の結婚に少なからず不安を抱いていた藤姫だったが、友雅の文を読んでいかに友雅があかねに対して本気だったかあらためてわかった。

「神子様、友雅殿、どうかお幸せに・・・。」

藤姫は、空を見上げて祈る。
きっと二人は、遠い空の下で幸せになることだろう。




<終>



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浮舟